2015/03/31

劇場版『暗殺教室』で、原作の殺せんせーが暗殺されていた

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(画像は映画版公式サイトより)

こんにちは、ジュン@frapptです。

劇場版の『暗殺教室』を見てきました。

僕は暗殺教室が結構好きで、
原作である漫画と、アニメ版をこれまで見ていました。

劇場版は1度見てみたい!&暗殺教室の良さを知ってもらいたい人がいたので、
その人と一緒に見てきました。

まさか、僕の知る殺せんせーが、劇場版で暗殺されていたなんて、知るよしもありませんでした。

ネタバレを含みます

ここから先の文章では、ネタバレを含みます。
まだ劇場版を見ていない方や、
楽しみにされている方は、見ない方が良いかも知れません。

それでも読んでくださるなら、下にスクロールしてください。


劇場版の殺せんせーは別物だ

まず、見終わった率直な感想は、
「これは暗殺教室じゃない」
でした。

これまで地獄先生ぬ〜べ〜や、宇宙兄弟など、
実写化されてがっかりした作品が多々ある中で、

ある意味この作品には期待を込めていたんですが、
まさかここまで酷い内容だとは思いもしませんでした。

それでは、原作の殺せんせーと、劇場版の殺せんせー、
何が違うのかを、比較していきましょう。

にゅや!って言わない

殺せんせーは、謎の生物です。

しかし、原作では器が小さく、
驚いたり、慌てる仕草を多く見せます。

その際に「え!?」みたいな感じに使うのが、
「にゅや!」です。

劇場版では「にゅや!」と言いません。

つまり、劇場版の殺せんせーは、驚きません。
びっくりしません。不意を突かれません。

全く慌てません。

おちゃめな部分がありません。

不気味な生物の部分が強調されているだけの黄色い奴として登場します。

それって、殺せんせーと言えるのかな・・・。

生徒指導の過程が全くない

殺せんせーと生徒が、信頼関係を築いていく。

原作版暗殺教室には、そんな描写が沢山あります。
あります。

が、劇場版にはありません。

やたらと暗殺を強調し、
生徒は殺せんせーを不気味な生物としてしか見ず、
物語が進んでいきます。

せいぜいカルマ君の崖のシーンがあったくらい。
それ以外は、生徒を指導しません。

ENDのE組の生徒は、
みんな心に何かしらの想いを抱えています。

その悩みに、殺せんせーは誰よりも寄り添っていく。
物語はいつも、そこから始まるんです。

個人的には、この心の寄り添いの過程が暗殺教室に魅力だと思っているんですが、
劇場版では、そんな描写が皆無です。

教師が、生徒との信頼関係を築こうとしない。
結果のみを追い求めさせている。

暗殺教室の醍醐味は、謎の生物だけど教師として素晴らしい仕事っぷりな殺センセーが、生徒との信頼関係を築いていくことなのに、
全くそういったシーンがありません。

原作みたいな突っ込みが無い

原作の漫画や、アニメでは、
殺せんせーに対して生徒が突っ込みのコメントを入れます。

「確かめたならしょうがない!」
とかね。

そういったコミカルな描写があるおかげで、
不気味な殺せんせーに対して、生徒が気軽に接している場面が
沢山出てくるんです。

それが一切ありません。
つまり、殺せんせーは不気味で近づきがたい存在のままです。

律も実写

登場人物として、自律思考固定砲台さん、通称「律」という生徒(人工知能)がいます。

原作では2次元キャラクターとして登場し、
さっきの話の突っ込みで、

律が他の生徒の言葉によって涙を流すシーンで、
「二次元の女の子を泣かせた!」
という台詞も登場します。

しかし、劇場版の律も実写化されています。
つまり、二次元ではなくなっていました。

また、殺せんせーは改良する為に
追加メモリやソフトウェアを提供するのではなく、
紙媒体の生徒の個人情報でした。

殺せんせーは機械改造もお手の物!
という事実は、映画では消されています。

旧校舎のグランドを手入れしない

殺せんせーは、危険な存在です。

にもかかわらず、その超人的な能力を、
「手入れ」に使うのです。

音速を超えるスピードで、様々なものを手入れする。
それが殺せんせーです。

しかし、映画では、グランドを整備せず、
巨大な兵器を地面に突き刺します。

手入れしない殺せんせーという存在は、
生徒に「早く暗殺しないとやばい!」という焦りを植え付けます。

確かに、原作だって1年間の間に暗殺しなければならないという条件はありますが、
その中で生徒は様々な経験を積み、人として成長していくんです。

ただ生徒の恐怖心を煽り、暗殺を煽る。
それが殺せんせーと呼べるのでしょうか。

殺せんせーの魅力が一切無い

原作と劇場版の違いを紹介しました。

何が言いたいかというと、
映画では、ただ変な生物が先生をやっている。
っていうだけのストーリーだったということです。

ち が う で しょ!

暗殺教室の物語の本質は、その非日常の学校生活自体の面白さではなくて、
その環境の中で生まれる教師と生徒の信頼関係が
作られていくところにあるはず。

E組に落とされた生徒が、自分に自信を持てるようになっていく。
ENDのE組でも、頑張ったら夢は叶うんだ!
ということを、暗殺の中で学んでいく過程に
意味があると、僕は考えています。

殺せんせーの暗殺は最終的な目的であって、
それが全てではない。

ところが映画では、暗殺が全てとなってしまっている。

なんて上辺だけの理解で製作されたストーリーなんでしょう。
そのストーリーだって、
原作の中でバトルが盛り上がったところばかりを継ぎ接ぎしただけの内容。

原作やアニメを見たことが無い人は、
殺せんせーがよくわからないままだし、
原作ファンは「こんなの暗殺教室じゃない!」となり得ます。

何より悲しいのは、
映画を見ただけで暗殺教室を理解したつもりになっている人が多く生まれそうだということです。

人を見た目や肩書きだけで判断してはいけない。
それを教える為の、本来の殺せんせーという存在。

あの映画の内容では、殺せんせーは見た目と同じ不気味な気持ち悪い存在で、
暗殺するのが一番だ!というイメージが前面に出てしまう。

最後にはお涙頂戴なシーンもあったが、
直前まで、散々暗殺を努力するシーンだけ見せておいた後だから
「え?なんで生徒はみんな泣いてんの?」という
矛盾を感じてしまう。

おわりに

以上のことから、
僕は「ああ、原作の殺せんせーは、既に暗殺されてしまったんだな、制作者の手によって」
という感じに無理矢理理解せざるを得ませんでした。

映画を見るなら、原作の方が面白い。
殺せんせーは、きもいだけじゃない。

誰よりも人間を愛し、生徒を愛し、
全力で教育という困難に立ち向かっていく。

教師の鏡です。

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